修羅の巷
2005年10月10日まさに現実というものは修羅の巷ですね〜。
世の中って言うものは
自分が自由を得る時には必ず他人に不自由を与えなければならず、
でも自分にとって得られたはずの自由が視点を換えれば、
不自由に見えてくるもんなんです。
そういうのを見ていて、当然と思うこともあれば
理不尽だと思うこともあります。
そういうことを前期とある授業で論文を書いたところ
先生曰く、孟子の思想と一緒らしいです。(多分、孟子)
まぁ自分のススムミチの上で
何が大事で、何を取り、何を捨てるか(もしくは後伸ばしにするか
よーく考えないといけませんね。
僕も今日ひとつ決断をしてきました。
すごく考えに考えた末、出した結論ですから、後悔していません。
勿論、2者択一でしたが、
2者共に非常に将来に役に立つものでした。
ですが、僕が今回選んだファクターは
どちらが性急なる実行が必要か…ということです。
若輩者ながら
できうる限り
自分という精神からはなれ
抜け殻の自分、いうなれば他人、としてみるように心がけました。
こういうことってもっと機会も増えてくるだろうし
もっと重みも増してくるでしょう。
器が徐々に大きくなるように努力します。
世の中って言うものは
自分が自由を得る時には必ず他人に不自由を与えなければならず、
でも自分にとって得られたはずの自由が視点を換えれば、
不自由に見えてくるもんなんです。
そういうのを見ていて、当然と思うこともあれば
理不尽だと思うこともあります。
そういうことを前期とある授業で論文を書いたところ
先生曰く、孟子の思想と一緒らしいです。(多分、孟子)
まぁ自分のススムミチの上で
何が大事で、何を取り、何を捨てるか(もしくは後伸ばしにするか
よーく考えないといけませんね。
僕も今日ひとつ決断をしてきました。
すごく考えに考えた末、出した結論ですから、後悔していません。
勿論、2者択一でしたが、
2者共に非常に将来に役に立つものでした。
ですが、僕が今回選んだファクターは
どちらが性急なる実行が必要か…ということです。
若輩者ながら
できうる限り
自分という精神からはなれ
抜け殻の自分、いうなれば他人、としてみるように心がけました。
こういうことってもっと機会も増えてくるだろうし
もっと重みも増してくるでしょう。
器が徐々に大きくなるように努力します。
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